ぼくはヒロシマを知らなかった~平和記念公園物語~

NHK BS-hi ハイビジョンで放送された、田中圭くんの「ヒロシマを考える旅」です。

レポというよりは文字起こしに近いので、とてつもなく長いです。(番組的には1時間半)

ただ、圭くんの出演部分だけをレポすると、圭くんの言葉がちゃんと伝わらないと思うので、目を逸らしたくなるような箇所も、なるべくそのまま書きました。

※「原爆」の事ですので、ある程度覚悟して読んで下さい。


■趣味は友達とのメールと漫画喫茶

東京のどこか(渋谷のセンター街?)で突っ立っている圭くんの画から。カメラ目線。(白地に赤文字で「FREE JAMAICA」のTシャツと、シルバーネックレス、ジーパン)

いきなり圭くんのナレーションから始まったので、ビックリしました^^;

自己紹介のナレーションと共に、女子高生たちに携帯でパシャパシャ撮られてます。

「ありがとうございまーすっ」と言いつつ、何かを受け取っている模様。サインかな? 手元が映っていないので、謎。

所変わって、漫画喫茶。週1で通っているらしく、慣れた感じで1冊手に取り、テーブルで読み始めました。これまたタイトルは不明(汗)


■広島平和記念公園について、考えた事がありますか

6月のある日、NHKの一室で女性スタッフさんから「ヒロシマ」について聞かれる圭くん。

修学旅行で1回行った事があるけど、なんとなーくしか覚えていない。

「昔の事」「自分には関係のない事」だと思っていたのかもしれない。

「その時、何を見たのか」「何を感じたのか」は、さっぱり覚えていないと言う。


■旅の始まり

白地に紺のラインが一本(左)縦に入ったポロシャツと、黒いズボンに着替え、新幹線で広島へ向かいます。(平和記念公園に到着)

7年前の圭くんのように、公園を修学旅行で訪れる大勢の学生たち。

どんな気持ちで見たり聞いたりしているんだろう・・・。

今回圭くんを案内してくれる、宇根利枝さん(87歳)と合流。

51年間、雨の日以外はほぼ毎日この公園に通い続けているそうです。120もの碑に、献水する為に。

以前この場所へ来た時の事を、あまり覚えていないと言う圭くんに、

「心で聞いてもらいたいな。よく覚えてね。」と笑顔で語る宇根さん。とっても可愛らしい方です。


■原爆死没者慰霊碑

はじめに、原爆死没者慰霊碑へ案内してくれました。

中には、原爆で亡くなった人のお名前が書かれた、帳面が収められています。

そして今も、原爆死没者は毎年約5,000人ぐらい増えていると言います。

宇根さんがお花とお水を供え、黙祷。


■原爆供養塔

「原爆」なんていう言葉が無かった当時、火の玉のように「ピカーッ」と光った後、「ドーーーンッ」という爆音がした為、B29が投下したそれを「ピカドン」という名で言い伝えたそうです。

原爆直後の広島市や、大怪我・大やけどを負った人々の写真。

「70年間、草木も生えないだろう」と言われた広島市。

復興へ向けて、公園が出来るまでの経緯をVTRで綴ります。

公園内にある、数々の碑や塔。

(私の感想。「生徒を必死で守ろうとした先生の碑」を見た瞬間、ヒロシマが一気に近づきました。真剣に見始めたのはココからだった気がします。番組開始から約25分後です。)


そして、圭くんと宇根さんが向かったのは、原爆供養塔。

中には、この場所で亡くなった人たちのお骨が収められています。(旅人が多かった当時。名前が分からず、61年経った今でも家族の元に帰れない遺骨が、まだ7万あまり眠っているそうです。)

ここへ訪れたら、ただ形だけを見て帰るのではなく、ここに収められている人と、心を通わせてほしいと語る宇根さん。

「俺が水あげていい?」と言い、圭くんが献水。


■宇根利枝さんの8月6日

ちょっと休憩。

ベンチでカップアイス(メロンシャーベット?)を頬張りながら、宇根さんの「恋バナ」について語り合う2人。とっても明るい宇根さんが、どんな人生を送ってきたのか、「僕は知りたい。」と圭くん。(ナレーション)


8月6日、当日の宇根さんの行動、何があったのかを聞く。

朝、空襲警報があったが、すぐに解除されたので、安心して職場についたばかりだった。(宇根さんは託児所で保母さんをしていたそうです。)

子どもたちを寝かしつけていた宇根さんの背中を、誰かがドカーーーンッと押したような気がして、遥か彼方へ飛ばされた。寝ていた子どもたちも爆風で外へ飛ばされ、母親を求めて泣いている。

山の中腹まで走り、広っぱから防空壕が見えるように顔を出した瞬間、宇根さんの顔の際まで大人の「おばけ」みたいな人がザァーーーッと一面に。

大やけどを負い、唸っている人々。ジェスチャーで必死に「水が飲みたい」と伝えます。

宇根さんは「ここで座って待っとれ!」と言い、水を求めて走りました。

でも他の人に呼び止められ、「今、広島全市は毒ガスの水になっている。もしそれをちょっとでも飲ませれば、あの人たちは即死してしまう。だから絶対に一滴も飲ませてはいけない。」と告げられました。

「待っとれ」と言っておきながら、水を持っていってあげられなかった。

だから「水で」供養してあげようと思った。

「あの時はごめんね、行かれんかって・・」と語り合いながら、毎日献水を続けている。そうする事で、宇根さんの気持ちもスーッと落ち着くそうです。

涙を流しながら語る宇根さんの話に、圭くんは全身で聞き入っているように思えました。


■中島本町

次に、原爆で壊滅した「中島本町」という町があった場所に、案内してくれました。

そこに住んでいた人を慰霊し、観音像が建てられています。

戦前、広島で一番の繁華街だったそうです。

当時ここに住んでいた、福島和男さん(現74歳)が書いた手記、「古里の町並みと思い出」をもとに、圭くんは一人で、かつて中島本町があった場所を歩きます。

(原爆投下前の復元地図や、町並みの写真がVTRで流れたんですが、本当に普通の繁華街で、そこには普通に人が住んでいて、普通に生活をしていたって考えたら、また一気に近づきました。)

原爆ドームの前に灯る祈りの火(無数のロウソク)を、一人見つめる圭くん。(時間は夕方っぽい。)


■義勇隊

再び宇根さんと。

戦時中、防火対策として建物を整理・解体する際、その作業に駆り出された一般市民「義勇隊」の碑へ。

その人たちは、船でやっと辿り着いたその時、原爆が投下され、川内村という一つの村から来た200人が全滅したと言います。

碑の裏側に刻まれた名前を、じっと見つめる圭くん。

「同じ名字が並ぶ。兄弟か、親子か、親戚か。この人たちには、妻があり、子があり、帰りを待っている人たちが居たに違いない。」(圭くんナレーション)


残された人たちのもとを訪ね、話を聞く。

川内村の人は、ほとんどの遺骨が見つからなかったと言います。

悲しみに暮れる暇も無く、生き延びる為にツラく慣れない農作業をして、残された子どもと家族を養っていたそうです。

「戦争は、二度とあってはいけない」

夫を亡くしたおばあちゃんたちの言葉は、一つ一つが心に突き刺さります。

圭くんと、2人のおばあちゃん。縁側に座り、カメラを見つめます。

「おばあちゃんたちの苦しみを、僕は忘れてはいけないんだと思う。」(圭くんナレーション)


■広島県立第二中学校

8月6日に、建物解体作業でこの地にやってきた為に全滅した、広島県立第二中学校の生徒たちの碑へ。

先生が「今日はこの家を壊すんだよ」と説明していた時に、原爆が投下され、整列したまま全員即死だったそうです。

碑の裏に刻まれた名前を見て、「本当だ・・・」と一言。泣きそうな顔で、じっと見つめる圭くん。

「1年生、およそ350人の命が一瞬にして吹き飛ばされ、残ったのは名前だけ。皆、12歳や13歳の少年たちだった。」(圭くんナレーション)


平和記念公園から10キロ離れた町の自宅まで、作業現場から人に助けてもらいながら、2日間かけて瀕死の状態で戻った少年がいます。県立二中、北本邦彦くん(当時13歳)。

亡くなる1時間前、「お母ちゃん、長生きしんさいよ。」と言い残したそうです。

邦彦くんの遺影を手に持ったお母さんと、遺影を見つめる圭くん。

「邦彦くんは、死んでいく自分より、残されるお母さんを気遣った。そんな優しい少年の命を、原爆は奪い取っていった。」(圭くんナレーション)


■韓国人原爆犠牲者慰霊碑

宇根さんと、「天気いいね~、今日。」「そうね~。良すぎるくらい。3日間、雨じゃなくて良かったね~。」と話しながら、韓国人原爆犠牲者慰霊碑へ。

当時日本は、朝鮮半島を植民地としていた為、広島にいた2万人あまりの韓国人が亡くなった。他にも、東南アジア各地からの留学生も来ていました。

「原爆の犠牲は、日本人だけではなかった。国を越えて、民族を越えて、原爆は無差別に人の命を奪うんだ。碑は、そのことを僕たちに教えてくれる。」(圭くんナレーション)


■碑文に込められた思い

「宇根さんはもう一度、最初に来た原爆死没者慰霊碑の前に、僕を連れてってくれた。」

(最初に来た時と、圭くんの顔つきが全然違う気がします。)

碑に刻まれた言葉、「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」。

広島大学・英文学の雑賀忠義教授が、原爆で大切な人を失った市民一人一人の心を思って考えた言葉です。

日本は、原爆の開発でアメリカに後れを取った為、落とさなかっただけ。もし我々が先だったら、落としていたであろう。そう考えた教授。

原爆犠牲者は、おそらく安らかには眠れないはずだ。

それを「安らかに眠って下さい」と祈る上は、不可能を可能にする決意と、努力と、懸命さが要る。それが「過ちは繰り返しませぬから」という誓いの言葉に表れている。

この碑文は、原爆は敵味方を越えた人類全体の罪であること。

そして二度と繰り返さないことが、死没者を慰霊する私たちの誓い・将来への戒めであることを、語っているのです。


■平和記念資料館

もっと原爆のことを知りたくなった圭くん。平和記念資料館に、一人でやってきました。

圭くんにとっては、7年ぶり・2度目の資料館。

被爆資料を一つ一つ真剣に見ていきます。

焦げ跡のある遺髪。中学生が残したツメと皮膚。大やけどを負った人たちの写真。

たまらなくなり、足早に入口のほうへ戻っていく圭くん。

入口近くのベンチに座り込み、思いを語ります。

「資料館に入るのは2回目なんですけど、やっぱ全然・・・見え方も違えば・・。実際に話をいろいろ聞いて、その時の周りの状況とか、その時の悲惨な感覚とかがスッと入ってきちゃって、ちょっと・・見てらんないっていうか、そこにいる事自体がキツいっていうか・・・。力が抜けてく感覚で・・。あ、これダメだなぁ・・(苦笑) フゥーー・・・。」


■追悼祈念館

原爆死没者一人一人の名前と遺影を見る事が出来る、追悼祈念館へ宇根さんと共に訪れた。

「実は、宇根さんにも探し続けている親戚がいると言う。パネルに名前を打ち込むと、原爆で亡くなった人の写真が現れる。僕は宇根さんに頼まれて、操作した。」(圭くんナレーション)

宇根さんの母の姉、梶山ハルさん。

圭くんがタッチパネルを操作し、出てきた写真を見て、「コレです!あったぁ・・・!出会えたねぇ。救われたねぇ。」と宇根さん。本当に嬉しそうです。それを横で見つめる圭くんも。

「宇根さんは一枚の写真を通して、遺骨も何もなかった伯母さんと、61年ぶりにここで再会を果たしたんだ。」(圭くんナレーション)


アメリカから卒業旅行で来たという、2人の若い男女。

一枚一枚の写真を真剣に検索している。

話を聞くと、「世界中でもっとも悲惨な出来事です。心に刺さります。」と、涙を流しながら語った彼女。

彼も「当時のアメリカ人の考えが信じられません」と言います。

亡くなった一人一人の写真が、敵味方を越えて、今に生きる人々の心に響いたのです。


■忘れないで

宇根さん「広島のね、平和公園を歩いてもらって、少し分かってもらえましたかしら」

圭くん「はい、あの・・僕東京に住んでて、やっぱり広島の事とか、実際に被爆された方たちの事とか、何も知らなかったけど、今回この平和記念公園で宇根さんと出会えて、お話聞けて色々回れて、他の方たちのお話も聞けて、本当に凄く勉強になったし、お話が聞けて良かったなって・・本気で思いました。」

宇根さん「本当。良かったね。なるべく、若い人にたくさん来てもらって、若い人に伝えておきたいの。生きとる間に。だから皆さんにも伝えてちょうだいね。ほいで、どうぞ広島のこの・・実際にあった事を忘れないように。ね。思い出して、頑張って下さい。」

圭くん「宇根さん、ありがとうございました。」 ※しっかりと手を握り合う、圭くんと宇根さん。

宇根さん「ありがとうございました。ありがとうございました。ようこそ。ようこそ。じゃあお元気でね。体に気をつけてね。頑張って下さいよ。」

圭くん「忘れませんっ。」

宇根さん「絶対に忘れないで。絶対に忘れないでねっ。」

圭くん「絶対に忘れませんっ。」

宇根さん「若い人皆さんにお伝え下さい。あなた方が後継ぎだから。頑張って下さい。」

圭くん「はいっ。」

宇根さん「ありがとうございました。」

圭くん「ありがとうございました。」

宇根さん「またみんなで来てねっ。」

圭くん「はいっ。ありがとうございました、本当。」 ※深々とお辞儀をする圭くん。


圭くんと離れても、ずっとずっと手を振っていてくれました。

何度も振り向いて手を振り、圭くんは広島を後にしました。


―――広島平和記念公園。そこは、人々の深い祈りが込められた場所でした。―――


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